« 2008年07月 | メイン | 2008年09月 »

2008年08月27日

市民運動の成果 チボリ終結で3者声明 「しんぶん赤旗」伝える

8月27日付「しんぶん赤旗」は、「岡山 市民運動の成果 チボリ終結で3者声明」と伝えています。
記事を紹介します(画像)。
080827akahata.gif

2008年08月24日

ポストチボリ問題

 チボリ公園廃止後の跡地利用などを「ポストチボリ」として議論がなされています。曰く、観光客が減る、県がつくった駐車場が経営難になる、など、チボリがあったとき観光客が増えたのか、駐車場が十分利用されたのか、といった検証もしない議論がなされています。
 「ポストチボリ」議論は、チボリへの税金投入は間違いだった、という総括に立った議論でなければなりません。観光客や多くの人を呼び込む施設をチボリ跡地につくれ、と言う議論も、チボリでなぜ集客に失敗したかの総括を踏まえることが必要です。チボリが嫌われた最大の理由が、市民の声を聞かずに、県と市が推進したことです。こうした県民・市民の立場に立った総括が「ポストチボリ」議論の前提だと考えます。
 その上で、知事や市長は、市民から出ている意見をとり上げて欲しいと思います。例えば、チボリ公園の花や街灯などを、希望する市民に分配し、再利用したら、という意見が出されています。チボリへの出資者やハートフル会員だけの意見でなく、税金投入で被害を受ける県民・市民の意見こそ、しっかり聞くべきではないでしょうか。

2008年08月16日

チボリ問題の総括ーー山陽新聞と他紙の違い

 「チボリ事業廃止・チ社解散」とのチ社取締役会決議を受けて、マスコミ各社は、チボリ問題の総括を掲載しています。7日付山陽は「問われる知事の責任」として「ほとんどの関係者は何らかの形で公園が存続することを望んだ。にもかかわらず、公園廃止という極論に至ったのは、県が解決に導くための努力や見通しを欠き、第三者的な姿勢に終始したため」として「事業に終止符を打つだけでなく、チボリに思いをこめた多くの県民や株主に納得の行く説明をする必要がある」と言っています。
 松岡良明山陽新聞社長は、長野知事、伊原木天満屋社長らの6人の「如月会」メンバーで、チボリ誘致話を進め、山陽新聞社は、岡山でのチボリ・ジャパン社設立時2.5億円出資し、当初からチボリ事業を推進してきました。山陽新聞が、こうした自らの責任については触れず、石井知事の責任を問いかけ、しかも「ほとんどの関係者は公園存続を望んだ」「株主に納得の行く説明を」と言うに至っては、報道の公平さを投げ捨てた、チボリ推進派の株主意見と受け取られても仕方のないものです。県民の多くは、公園でなくレジャーランド・チボリへの税金投入反対であり、その存続は望んでいません。
 7日付毎日で「幻の岡山チボリ公園計画、年間200万人入園を前提とした営業計画、それが頓挫した後の再建5カ年計画、それも失敗した後の『指定管理者制度導入による県民・市民公園化』方針、いずれも実現しないまま、多額の税金が投入され続けた」「これらの失敗の連続とその結果に対する責任を誰も取らなかった歴史に対し、率直かつ誠実な反省の上に立つものでなければ意味がない」との小林一彦(元倉敷支局長)の明快な指摘とともに、「倉敷チボリ公園の歩み」として「誘致過程での不明朗な資金の流れなどの調査のため、岡山市議会が百条委員会を設置」など、詳しい年表を掲載しています。
 7日付中国で中井幹夫記者が「民間が担うべき事業で、県が乗り出すべきでない、事業には当初からこうした指摘がつきまとった。開園から11年。土地代や公園整備費などに県が投資したのは300億円以上に上る。結果的にそのつけを最もかぶるのは、県民であることを県など関係者は忘れてはならない」と指摘し、教蓮考匡記者が、チボリに反対する県民の会福武彦三事務局長の談話として「誰が見ても成り立たない事業を県はあれよあれよと言う間に強引に進めた」「廃止の機会は何度もあった。知事は関係者に気兼ねせず、県民の側に立っていれば止められた」との指摘を掲載しています。

2008年08月11日

チボリ事業廃止・会社清算へ

日本共産党倉敷市政ニュース1面
日本共産党倉敷市政ニュース2面

2008年08月08日

「赤旗」8日付が「チボリ閉園へ」と伝える

8日付「しんぶん赤旗」第4面では、「倉敷チボリ閉園へ 赤字144億円 三セク解散決議」と伝えています。
記事を画像版で掲載します。

080808akahata.gif

2008年08月07日

日本共産党倉敷市議団blogに団の声明を掲載

日本共産党倉敷市議団blogにチボリ事業廃止決定に関する団の声明を掲載しています。どうぞご覧ください。
>> チボリ事業廃止決定について党市議団が声明
natu_0407.gif

2008年08月02日

チボリ問題年表

 1987年10月 岡山市が市制百周年記念事業の「センチュリーパーク構想」として「チボリ公園誘致」を公表。ここからチボリ問題が始まるが、その前史がある。86年10月百周年記念事業企画委員会が設置され、堀貞一郎ランド・システム代表からチボリ誘致が提案されると、87年5月チボリ公園岡山誘致委員会が故長野知事、松本岡山市長、伊原木天満屋社長ら県政財界中心人物6人による「如月会」に堀氏を加え7人でつくられ、同年10月伊原木・堀の間で「チボリ誘致交渉依頼の覚書」が締結され、市民に公表される前にチボリ公園誘致が始まっていた。
 1988年7月企画誘致会社「センチュリーパークチボリ社」(会長長野知事)が設立され、堀氏のランドシステム社と「業務委託契約」を結び、成功報酬を支払い、運営・広告など独占委託することが約束された。しかし、このことは岡山市には知らされず、契約書により堀氏に多額の支払いが行われた(手切れ金を含め総額8億円余)。1990年2月長野会長、伊原木副会長、新下社長で管理運営会社「チボリ・ジャパン社」(県5億円、財界43億円出資)が設立されたが、岡山市の出資金3億円は議会が凍結。
 1990年10月岡山市議会に「チボリ公園問題真相究明」の百条委員会が設置され、91年3月長野氏及び伊原木氏の告発決議が成立した。
 1991年2月岡山市長選で安宅市長が当選し、同年7月チボリ事業から撤退声明。
 1991年9月2日故長野知事が故渡邉倉敷市長(同年2月市長選で当選)を訪ね「県主体で事業推進する」「倉敷での立地に協力を」と要請し、同年6月工場閉鎖したクラボウ工場跡地での事業推進を協議。「岡山市制百周年記念事業」でなくなったチボリ公園事業が、岡山県主導で展開されることになった。1993年5月クラボウと土地賃貸で合意し、1995年5月岡山県と倉敷紡績が「定期借地権設定契約」を締結した。
 1994年2月阪急電鉄が中核企業にならないと表明したので、「民間主導」から「県主導」の新計画案
を出し、倉敷市に100億円出資・融資を要請。同年4月臨時倉敷市議会で、日本共産党などの反対を押し切って100億円出資・融資を可決。ここから、市民の大半が反対していたチボリ公園事業への倉敷市の関与が始まった。
 1991年9月「チボリはいらない倉敷市民の会」10月「チボリに反対する県民の会」が結成され、デンマーク・チボリ調査団派遣、住民訴訟(チボリ訴訟弁護団結成される)、「著名人反対コメント公表」、宣伝・署名活動など反対運動が活発に展開された。
 1995年10月より建設が始まり、1997年7月「倉敷チボリ公園」の名でオープンしたが、96年知事選「長野県政継承」で当選した石井知事がテープカットした。石井知事が事業推進した責任は免れない。
 「チボリ・ジャパン社」社長は、クラボウとの交渉で辣腕を振るった河合副知事が第2代として、「倉敷チボリ公園」の運営を行ったが、入場者数半減、累積赤字を増大させ、2001年高谷社長(おもちゃ王国社長)に交替した。高谷社長は「経営改革」と称してリストラを行ったが入場者数減は止まらず、莫大な赤字を残して2005年9月高谷氏が岡山市長選出馬のため辞任。服部氏が社長に就任したが、不祥事を起こして数ヶ月で辞任し、2006年6月株主総会で坂口社長が就任するという、めまぐるしい展開をした。  2006年1月 県が「倉敷チボリ公園在り方検討委員会」を開催し、県民アンケート実施(倉敷市の関与を求めるアンケート項目があり、倉敷市議会全会一致で県に抗議)、指定管理者制度導入が検討された。一方で、デンマークのチボリインターナショナル社とチボリ・ジャパン社とが、1995年12月に結んだロイヤリティ契約期限切れを迎えて契約更新交渉が行われたが、2007年7月交渉決裂により、2008年末で「チボリ」の名称使用禁止となった。
 2007年9月5日石井知事が古市倉敷市長を訪ね「チボリ公園を県主体で支えるのは困難。倉敷市主体の運営の検討」を要請。岡山市から拒否されたチボリ公園を倉敷市に押し付け、今度は破綻が明白になった事業を倉敷市に押し付けようとするもの、と反対の声が広がり、古市市長は知事に拒否回答を知事に出した。
 石井知事は「2008年末で県の支援打ち切り」を表明する一方、倉敷市への支援要請の発言を繰り返してきた。しかし、2008年4月の市長選挙で当選した伊東倉敷市長が同年7月「県の支援が無ければ倉敷市支援は検討できない。県知事の責任で最後まで解決を」と最終回答したことで、事業終結に向けた知事の責任ある行動が求められている。
 チボリ・ジャパン社解散動議が出されれば、県も倉敷市もこれに賛成する、との表明がなされる中で、8月6日取締役会で、同社の解散、クラボウへの土地返還が具体化される状況に至った。