« チボリの責任論 | メイン | 日本共産党倉敷市議団blogに団の声明を掲載 »

チボリ問題年表

 1987年10月 岡山市が市制百周年記念事業の「センチュリーパーク構想」として「チボリ公園誘致」を公表。ここからチボリ問題が始まるが、その前史がある。86年10月百周年記念事業企画委員会が設置され、堀貞一郎ランド・システム代表からチボリ誘致が提案されると、87年5月チボリ公園岡山誘致委員会が故長野知事、松本岡山市長、伊原木天満屋社長ら県政財界中心人物6人による「如月会」に堀氏を加え7人でつくられ、同年10月伊原木・堀の間で「チボリ誘致交渉依頼の覚書」が締結され、市民に公表される前にチボリ公園誘致が始まっていた。
 1988年7月企画誘致会社「センチュリーパークチボリ社」(会長長野知事)が設立され、堀氏のランドシステム社と「業務委託契約」を結び、成功報酬を支払い、運営・広告など独占委託することが約束された。しかし、このことは岡山市には知らされず、契約書により堀氏に多額の支払いが行われた(手切れ金を含め総額8億円余)。1990年2月長野会長、伊原木副会長、新下社長で管理運営会社「チボリ・ジャパン社」(県5億円、財界43億円出資)が設立されたが、岡山市の出資金3億円は議会が凍結。
 1990年10月岡山市議会に「チボリ公園問題真相究明」の百条委員会が設置され、91年3月長野氏及び伊原木氏の告発決議が成立した。
 1991年2月岡山市長選で安宅市長が当選し、同年7月チボリ事業から撤退声明。
 1991年9月2日故長野知事が故渡邉倉敷市長(同年2月市長選で当選)を訪ね「県主体で事業推進する」「倉敷での立地に協力を」と要請し、同年6月工場閉鎖したクラボウ工場跡地での事業推進を協議。「岡山市制百周年記念事業」でなくなったチボリ公園事業が、岡山県主導で展開されることになった。1993年5月クラボウと土地賃貸で合意し、1995年5月岡山県と倉敷紡績が「定期借地権設定契約」を締結した。
 1994年2月阪急電鉄が中核企業にならないと表明したので、「民間主導」から「県主導」の新計画案
を出し、倉敷市に100億円出資・融資を要請。同年4月臨時倉敷市議会で、日本共産党などの反対を押し切って100億円出資・融資を可決。ここから、市民の大半が反対していたチボリ公園事業への倉敷市の関与が始まった。
 1991年9月「チボリはいらない倉敷市民の会」10月「チボリに反対する県民の会」が結成され、デンマーク・チボリ調査団派遣、住民訴訟(チボリ訴訟弁護団結成される)、「著名人反対コメント公表」、宣伝・署名活動など反対運動が活発に展開された。
 1995年10月より建設が始まり、1997年7月「倉敷チボリ公園」の名でオープンしたが、96年知事選「長野県政継承」で当選した石井知事がテープカットした。石井知事が事業推進した責任は免れない。
 「チボリ・ジャパン社」社長は、クラボウとの交渉で辣腕を振るった河合副知事が第2代として、「倉敷チボリ公園」の運営を行ったが、入場者数半減、累積赤字を増大させ、2001年高谷社長(おもちゃ王国社長)に交替した。高谷社長は「経営改革」と称してリストラを行ったが入場者数減は止まらず、莫大な赤字を残して2005年9月高谷氏が岡山市長選出馬のため辞任。服部氏が社長に就任したが、不祥事を起こして数ヶ月で辞任し、2006年6月株主総会で坂口社長が就任するという、めまぐるしい展開をした。  2006年1月 県が「倉敷チボリ公園在り方検討委員会」を開催し、県民アンケート実施(倉敷市の関与を求めるアンケート項目があり、倉敷市議会全会一致で県に抗議)、指定管理者制度導入が検討された。一方で、デンマークのチボリインターナショナル社とチボリ・ジャパン社とが、1995年12月に結んだロイヤリティ契約期限切れを迎えて契約更新交渉が行われたが、2007年7月交渉決裂により、2008年末で「チボリ」の名称使用禁止となった。
 2007年9月5日石井知事が古市倉敷市長を訪ね「チボリ公園を県主体で支えるのは困難。倉敷市主体の運営の検討」を要請。岡山市から拒否されたチボリ公園を倉敷市に押し付け、今度は破綻が明白になった事業を倉敷市に押し付けようとするもの、と反対の声が広がり、古市市長は知事に拒否回答を知事に出した。
 石井知事は「2008年末で県の支援打ち切り」を表明する一方、倉敷市への支援要請の発言を繰り返してきた。しかし、2008年4月の市長選挙で当選した伊東倉敷市長が同年7月「県の支援が無ければ倉敷市支援は検討できない。県知事の責任で最後まで解決を」と最終回答したことで、事業終結に向けた知事の責任ある行動が求められている。
 チボリ・ジャパン社解散動議が出されれば、県も倉敷市もこれに賛成する、との表明がなされる中で、8月6日取締役会で、同社の解散、クラボウへの土地返還が具体化される状況に至った。